【@ニフティニュース】ボクサー志望&慶大哲学科卒の変わり種が「重度障害介護」事業の“雄”になるまで
2021年9月5日
株式会社土屋社長 高浜敏之さん
慢性的に人手不足の介護業界、しかも重度の肢体不自由または知的・精神障害のある24時間のケアが必要な方向けの「重度訪問介護」職にもかかわらず、就職希望者が後を絶たない。従業員1100人、全国40都道府県に訪問介護事業所「ホームケア土屋」を展開。このスタッフで、500人以上の重度障害者や高齢者の生活を支える。
2020年8月に、岡山県井原市で同社を創業した。社名の土屋は名字ではないのかと聞くと、「よく聞かれます。前身の会社から事業を分ける形で独立したので、利用者さまが混乱しないよう、社名の一部も引き継いだのです。知らない人には紛らわしいですよね」と笑う。だが、ここまでの道のりは、文字通り波瀾万丈だ。
東京都出身。元ボクサーの父の影響で、子供の頃からプロボクサーを夢見た。
「父はファイティング原田さんとスパーリングしたこともある人で、プロの手前ぐらいまで行きました。ですが結核を患い断念。その代わりというわけではありませんが、子供の頃から“男は強くなれ”と教えられ、喧嘩に勝つと褒められる少年期を過ごしたので、その道に進もうと思うのは自然な流れでしたね」
19歳の時に、元世界チャンピオンの辰吉丈一郎氏も所属した帝拳ジムに入門。将来を嘱望されたが、20歳手前で、本人いわく「逃げ出した」。
「実際やってみて、命の危険もあるハードなスポーツだと分かったのです。たとえプロになっても、とてもやっていけないと怖くなりました」
もともと勉強が嫌いではなかったので、上智大学に入学。しかし、ボクシングへの夢を断ち切れず、再びジムの門を叩く。
「だけど結局また辞めてしまいました。24歳の時です。やっぱり自分には向いていない。プロボクサーへの夢はきっぱり諦めました」
その後は慶応義塾大学文学部哲学科に入学。大学教授を目指すが、やはり本人いわく「そこまでの頭脳はなかった」ため軌道修正。卒業後に始めたのが、介護の仕事だった。
「大学では哲学を本気で勉強していたので、今さら普通の企業には就職したくありませんでした。そんな時、大学時代の友人だった今の妻に薦められて、鷲田清一さんという哲学者の『〈聴く〉ことの力』という本を読んだのです。そこには、阪神・淡路大震災でPTSDを負った女性に精神科医が耳を傾けるシーンがあり、それにすごく感動したのです。自分もこのように、人を支える仕事がしたい、介護の現場に身を置きたいと思いました」
当初は、「介護であれば何でも」よかったが、弟が高齢者福祉の仕事をしていたので、かぶらないよう障害者福祉の仕事を志向。30歳の時、たまたま求人雑誌で見つけて就職したのが、現参議院議員・木村英子氏(れいわ新選組)が代表を務める、東京都多摩市の「自立ステーションつばさ」だ。
「実際に現場に入ってみると、初めてのことばかりで苦労しましたが、葛藤も含め、実に興味深い仕事だと思いました」
「障害者をバカにしているのか!」
仕事を始めて3カ月後。代表の木村氏に感想を聞かれる。仕事について率直に感想を述べたが、突如木村氏が激怒したという。
「利用者から現場で理不尽なことを言われた時の対応を聞かれたので、適当に受け流していると答えたら『障害者をバカにしているのか!』と一喝されたのです。ご本人は小さい頃に施設に入れられ、一生天井を見て生きると覚悟したけれど、多くの人に支えられて自立することができた。時には叱責されたこともあるけれど、本気で向き合ってもらえたおかげで今がある。そんな介助者に、僕にもなって欲しいと言われた時は、胸を打たれましたね」
続き、記事元はhttps://news.nifty.com/article/item/neta/12136-1229909/