【まいどなニュース】23歳から23年間精神科に入院、履歴書に書く職歴なく「それでも、働きたい」53歳で叶えた「夢」
2021年5月11日
社会的に関心が高まっている「8050問題」。暗い側面ばかりが指摘される一方で、地域の支えを受けて自立へ踏み出す人もいる。23歳から23年間、精神病院に入院し、現在は90歳の母親と二人暮らしをしている男性も、その一人だ。グループホームから地域の就労支援事業所を経て、53歳で初めて「就職」という夢を叶え、働き続けている。
■阪神・淡路大震災「覚えていない」 さっぱりと短く整えた髪に、ユニフォーム姿。男性は毎朝必ず、定時の1時間前には出勤し、埃取り用のワイパーとふきん、掃除機を手に、病院内の医師控室などを隅から隅まで丁寧に掃除していく。今、55歳。「やっぱり張り合いがあるね。(働くのは)楽しい」と、ゆっくりとした口調でほほ笑む。その表情はとても晴れやかだ。 かつては音楽少年だった。中学校でフォークギターを始め、高校ではバンドを組んで国内外のアーティストの曲をカバーした。卒業後はピアノの調律師を目指し、専門学校に受かったが両親は反対。やむなく大学を受け直して合格し、大学ではエレキベースを弾いたりバドミントンをしたりしていた。だが、20歳ぐらいから体調を崩し、入退院を繰り返すようになったという。 “最後”の入院は23歳のとき。「最初に点滴をして、部屋を変わった」後の記憶は、おぼろげだ。病院は阪神・淡路大震災の激震地にあったはずだが、震災のことは「覚えていないね…」と言う。ただ、同室の患者に腰を蹴られてケガをし、リハビリをしたことと、親戚がお見舞いに来てくれたことは、記憶に残っているという。 これほど長期の入院が、症状のせいなのか、家族の事情のためだったのか、理由は分からない。ただ、「(医者に)何にも言われんかったから、(退院を)考えたこともなかった」と男性。ところが10年ほど前、先に退院した元同室の知人に外の世界のことを聞き、「自分も退院したい」と医師に申し出たところ、すんなり退院を許可されたという。折しも長期入院への批判が高まっていたころだった。 ■履歴書に書く職歴が無い それでも「働きたい」 男性はグループホームを経て、地域の就労継続支援B型事業所に通うようになった。だが、23年の間に、街並みは大きく変わり、駅の改札口には見知らぬ券売機と改札機がずらりと並んでいた。最初のうちはスタッフが声をかけても、一言を返すのに時間がかかり、体力が続かず、午後になると誰とも話さず過ごすこともあった。 それでも、同じ障害のある事業所のメンバーは、明るく積極的に話し掛けた。オシャレな服や帽子を着けた男性がアニメの主人公のようだとニックネームで呼ぶ人もいた。そんな和やかな環境で、男性は次第に笑顔を見せるようになり、会話の中心にいることも多くなっていった。 誰にでも優しく接する穏やかな人柄で、ほぼ皆勤だった男性は仲間からの信頼も厚く、お菓子作りなどの作業ではリーダーを任された。そんなある日。男性は「いっぺん、働いてみたい」と、スタッフに本心を打ち明けた。
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